那須モータースポーツランド(以下MSL)に、サーキット走行に行ってきた。
レッドバロン(以下RB)に買い取られたこのサーキットは、かつてレース活動をしていたZに言わせると、信じられないほどぬるいスタンスのサーキットだということで、詳しく説明してもらえばもらうほど、なるほどとうなずける。
しかしまあ、こちとらサーキット初心者。ぬるま湯に越したことはない。
クルマで運んでくれるというZの好意に甘え、俺はヘルメットひとつ持って、Zのクルマに同情し憐れんでどうする、同乗し、朝6:30、柏を出る。SDRは前日の段階でRBに預けておいたので、身ひとつで行けるわけだ。
朝8:30、那須MSLに到着。すでにRBの人たちも来てて、SDRも来ていた。
ガムテで養生され、異常なほど俺に似合う、貧乏臭い姿になったSDR。
なんだか、小僧時代のマシンを思い出す姿だ。
いや、サーキット的ってんじゃなくて、ガムテの貧乏臭さが。
SDRが車検場で車検を受けてる間に、俺もライセンスの座学を受ける。
RBのスタッフH君と、その彼女Sちゃん。
モザイクじゃなくて目線なのは本人の希望。
サーキットに来る彼と、それを応援しに来る彼女。
すばらしく正しい姿勢である。少なくとも、前前日までアホほどソロツーリングして、そのまま呑んだくれ、次の日にはすでに単車いじり。薄汚く日焼けして、しかも身体の疲労にテンションで気づいてないような男より、100万倍は正しい。
絵的にもこっちが圧勝だ。
さわやかなオトコマエの好青年と、可愛らしい彼女。対するはそろそろ40近くなり、腹も出てくりゃほっぺたも緩んできたてのに、酒と単車のことばかり考えてる、ちょっとアレな脳みそを持つ、ショボい整骨院経営者。
まぁ、完敗だ。
いやまぁ、こんなん自虐的に書いてても、実は自分大好きなんだけどね。
第一ヒートがはじまり、ライセンス持ってるヒトは走り出す。
RB柏の店長。
寡黙というか、少なくとも俺の知ってる限りではおとなしいヒトだ。
H君もガンガン攻める。
H君は結局、この日のトップタイムをたたき出した。
んで、座学と実技の終わった俺も、ガンガン走り出す。
この段階では、俺の中でサーキットってのは峠の延長で、『とにかく前にいる速いヤツを追いかける』ことしか考えてなかった。んで、抜けるやつは全部ぶち抜き、速いやつには置いていかれ、だんだんと頭の中がヒートアップ。
で、ココで問題が発生する。
今までの峠走りなら、それでも公道なりの安全マージンを取って走らなくてはならなかった。
だが、ココはサーキット。対向車も来なけりゃ、道に砂や落ち葉もない。突然ダートにもならないし、道に迷う心配もない。 もちろんガケもない。そして何より、むちゃくちゃ視界がよくて、しかもバカみたいにグリップがいい。
つまり、今まで経験したことのない、最良にして最高のコンディションが整った道なのだ。
初めの頃こそ、道を真横に突っ切る(広いので、大外からクリップに突こうとすると、感覚的にはほとんど横断しているように感じるのだ)感覚とか、異常に高いグリップに戸惑っていたが、なれてくれば来るほど、ものすげぇ楽しくなってくる。
ブラインドの先を考えた安全マージン。
対向車が飛び出してくることを考慮したライン。
速度超過と、それを取り締まる警察。
単車で走るとき、煩わしくも必ず考えなくちゃいけないこれらのことを一切無視していいのである。道の先に何かあるなら、黄色なり赤旗が出る。対向車なんて絶対来ない。飛ばしたって捕まるどころか、むしろまだまだ遅すぎるくらい。
そこに、天国があった。
そして俺は、その天国で至福の時間に酔いしれながら、もっと突っ込み、前のヤツを睨みつけ、喰らいつき、アクセルを開ける。フルブレーキ。カットインしながら次のコーナーを見る。開ける。もっと、もっと、もっと。
え? っと思ったら。
もう、転倒していた。
もっとも、深くバンクした状態で、そのままフロントが逃げただけなので、感覚的には、突然ヨコからアスファルトという壁を押し付けられた感じ。コケたことより止まってしまったことが悔しくて、さっさと起き上がるとSDRをコーナーの内側に引きずって行く。
身体は痛くも痒くもない。
そこでエンジンをかけ、故障の有無を確認し、再スタート。
そのままピットに戻り、備え付けの工具を借りて、曲がったブレーキレバーとブレーキペダルを修正する。あとでZに聞いたのだが、レバーが曲がらないように、あらかじめ取り付けのボルトをゆるめにしておくのがセオリーなんだそうだ。
なるほどね。
んで、そのまま一回目の走行は終了。
やってきたZに事情を話し、アドバイスをもらって考える。言ってもサーキットはともかく、峠なら腐るほど走ってきたわけで、ココ十年以上『何でコケたかわからない』様なコケ方はしたことがなかった。しかし、今回 はコケた理由がわからない。これが気持ち悪い。
するとZのアドバイス。
「先生、タイム見てます?」
「んにゃ」
「トップエンド何速でした?」
「わからん」
「タイムはきちんと確認した方がいいですよ」
「わかった。それじゃあ次はタイムとギヤに気をつけて走る」
サーキット経験のあるヒトなら。
『いまさら何言ってるんだ、このバカ。タイムだのギヤだの、基本中の基本だろうが』
とでも言うだろう。
だが、この段階では、先に言ったとおり『峠の延長』としか、考えてなかった。そしてもし、『理解できない転倒』をせずに走りきっていたら、このときのZの指示も、俺の心に沁みてこなかっただろう。気をつけはしたろうが、結局また、他の連中を追いかけるだけになっていたはずだ。
だが、理解できない転倒をしたことで、経験者であるZの言葉を、素直に実践する気になったのである。ナンにせよ、先達の言葉というものには、一聞の価値があるのだ。特にZのような、いい加減なことを言わない男の言葉は 特に。
二回目の走行が始まった。
回りに惑わされないようにして、タイムの確認と各ギヤの確認に専念する。
ホームストレートから1コーナー手前、50メータのカンバンでアクセルを戻しブレーキング。
二速にシフトダウン。ブレーキを残したままカットイン。コースを真横に横断しつつクリップを目指す。クリップあたりからアクセルを開ける。遠心力でタイアが押し付けられるのを感じながら、フルアクセル。
直線でラップタイムを確認しながら、フル加速。
イチバン長いバックストレート。三速。四速。左側の壁の切れ目を目印に、アクセルを戻し、同時にブレーキ。三速。二速。カットインは浅めにとってツバメ返しを超える。コースなりに走りながら、アクセルを開ける。
17Rから15Rへ。15Rはさっき転んだところだ。
何度目かの走りのとき、今度はココでリアタイアが、ズズズっと多めに流れた。
さっきはフロントだったのに、今度はリアが流れた。ココは一番気をつけるところだな。
三速。ゆるい左の高速コーナーを全開で立ち上がる。
四速。次のコーナーの後にはヘアピンが控えている。
三速。ここは真ん中気味に入っていき、そのまま右側に寄る。同時に二速。
さあ、ヘアピンだ。SDRは得意な部類のコーナーだ。
しかし、どう走ればいいか頭で判っても、なかなかうまくいかない。
おっと、ステップを擦った。そうか、ここはサーキットだ。自分で思ってる速度感覚はいったん捨てなくちゃ。次の週では、ヘアピンの進入でもう少し身体を中に入れておこう。ヘアピンのふたつ目のクリップを超えたら、右に切り替えして、30Rを加速しながら最終コーナーに備える。
そして、ホームストレート。
何度か繰り返すうちに、急に全体が見えてきた。
さっきまでは前走者のテールと目の前のコーナーしか見えなかったのに、淡々とコースを攻略していたらコースの全体像が見えてきた。つまり、ココで速く走るためにココは早めにインにつこうとか、サーキットの話では必ず出るような『攻略』が、自分の頭とかみ合ったのだ。
初めて、地図が頭の中でつながった瞬間に似ている。
他にも走っているヒトがいるので、毎回必ず好きに走れるわけではないが、何度かクリアラップを取ることが出来、そのたびにタイムを見る。バラけながらも、徐々にタイムが上がってくる。今のは速かったけど、コレは本当じゃない。
無視してるつもりでも、無意識に前の人間に引っ張られたタイムだ。
ほらみろ、次の周はタイムが落ちた。そんなんじゃダメだ。
自分の力だけで、もっと速く走るんだ。考えろ。もっと考えろ。エンブレ使いすぎじゃないか? 一速高めで進入してみようか。バックストレートで速度を載せるには、一コーナーは突っ込みすぎない方がいいんじゃないか?
Zの言葉で意識し始めた自分ひとりの作業に、俺はだんだん没頭してゆく。
バトルじゃなく淡々と、タイムをつめる為にやれることをする。あとで話したときZは『前走者に引っ張られたといっても、その前後で似たようなタイムが出てるし、きちんと評価していいんじゃないですかね』と言ってくれた。
だが、俺はうなずきながらも、まったくの独りで出したタイムだけに嬉しさを見出していた。前述した『そんなんじゃダメだ』のセリフ。アレこそがまさに、俺の中で急激に育ってきた、偽らざる思いだったのだ。
もう、周りの人間はどうでもよくなった。
むしろ、俺はココを独りだけで、納得いくまで走りたい。
俺は、究極の独り遊びを知ってしまったのだ。
タイアは、前も後ろも気持ちよく削れている。
それでも、タイムはたいしたことはない。
もちろん初めてなんだし、筋トレで言えばまだ器具の使い方に慣れてないというところだろう。これからしばらくは、基本となるタイムを安定して同じように刻めるようになることを目指し、コースの全てで淡々とした作業を繰り返すのだ。
安定して同じタイムが出てきてからが本当の始まりだ。
そして俺はその作業に、峠でやりあうのとはまったく違った、しかし、それに匹敵する喜びを感じるのである。バトル好きのイメージがあるだろうが、どうやら俺は、サーキットに限って言えばこっちの方がずっと好きなようだ。
店長のアプリリアRS250と、H君のTRX。
俺と一緒に座学を受けた初心者のヒトの、GSX-R。
このヒトは俺より4秒も速いタイムを出してた。走り出す前なら、マシンのパワー差だと言ってしまうだろうが、走ったあとの俺は、やはり腕の差だと思う。つーか正直、少なくとも、まともに揃ったタイムが出せるまでは、他人はどうでもいい。
モタードもいた。
DR400かな。これも、かなり速かった。テールスライドはしてなかったけど。奥に見えるのはR1。ボロボロに使い込んだ、サーキット専用だ。昨日までなら『もったいねぇなぁ』と思っただろうが、今はちょっとわかる気がする。
三回目の走行も終わり、本日の俺のサーキットランはこれで終了。
店長も着替えて、リラックスタイム。
Hくんと彼女も、仲良く歓談。
俺はと言えば、コース図を睨み、Zと話し、早くも次のための作戦を考える。
あまりの暑さに、Zは水まきを始める。
その間も俺は、水分補給しながら、ひたすら攻略方法の検討。コケた15Rへの進入は、コースなりじゃだめなんだってトコロと、バックストレートのための1コーナーの攻略は、とりあえず目処がついた。
もちろん、実践してみなくちゃ、何の意味もないんだが。
サーキットが峠の延長ではなく、まったく違った場所だということは、話にはよく聞いていた。しかし、それをきちんと実感してみた今、俺には少し違った意見が出てきている。前述したとおり、場所がどうのこうのという話ではない。
サーキットをバイクで走る。
これでヒトツ。
バイクがあって、それで峠を走るという話とはまったく違った、サーキット+バイクでヒトツの、ものすごくハードでシビアなスポーツ。無駄を省き、一つ一つ積み重ね、ミスを減らし、自分自身と戦う。ゴルフとかビリヤードみたいな、戦略と集中力の競技だ。
むしろ、囲碁や将棋みたいだと言ってもいいかもしれない。
どこまでやれるかはともかく。
単車の乗り方のヒトツではなく、単車、小説書き、読書なんかと並ぶ、まったく別カテゴリの趣味として、これからも続けていこうと思う。そしてたぶんサーキットでの俺は、地味で面白みのない走り方になるだろう。
その予感が不愉快でないどころか、むしろ少し誇らしいのが、今の心境だ。
最後に、単車を運んだり手続きをしてくれたレッドバロンスタッフと、俺をサーキットまで運んでくれたばかりか、貴重なアドバイスをたくさんくれたZに、心からの感謝をささげ、この文章を終わりたいと思う。
八月にもう一回くらい、サーキットを走ろう。
あの淡々とした、すがすがしい孤独を味わうために。